旭川の鉄道開通と第七師団の移転がきっかけとなって始まった旭川家具。
豊富な天然資源がありつつも雪深さゆえに自然乾燥が難しく木工に向かないとされていましたが、乾燥機械などの導入により克服しました。
歴史の流れと人々のライフスタイルの変化に柔軟に対応し、全国的にも先進的な活動を通して今にいたる旭川家具の歴史についてわかりやすく年表としてまとめました。
明治31年(1898年)
旭川に鉄道が開通
明治32年(1899年)
陸軍第七師団が旭川に移転
貨車や客車をつくる工場ができて人口も増加
本州から大量の大工や家具、建具職人も移住
大正2年(1903年)
北海道は大凶作 農業が主産業としている旭川も大打撃を受ける
大正3年(1904年)
産業の育成・経済の安定化のため行政政策として「木工伝習所」を設置 木工を発展
第二次世界大戦中は一時中断
戦後
戦災の被害が少なく、札幌の進駐軍の宿舎建設などがあり大量の建具や家具を受注
大量生産体制を取る
昭和24年(1949年)
旭川市が商工省(当時)から需要木工集団地として指定を受ける
旭川木工センターの前身となる旭川家具事業協同組合が発足
昭和25年(1950年)
北海道林業指導所(現:北海道立総合研究機構森林研究本部林産試験場)が旭川に設置
昭和30年(1955年)
旭川市立木工工芸指導所(現:旭川市工芸センター)設置
家具の作り方・デザインについて研究が行われるように
旭川周辺の木工会社が集まり木工販売会「旭川木工祭り(現:ASAHIKAWA DESIGN WEEK)」を開催
当時としては画期的な取り組みだった
昭和32年(1957年)
旭川家具工業協同組合設立
昭和33年(1958年)
旭川木工団地の建設が開始
火災や騒音などの近隣トラブルをなくすことを目的に建設
全国のモデルケースとして注目された
昭和41年(1966年)
旭川木工センター設立
工場・敷地の狭隘環境の改善と相互協力によって企業体質を高度化する事を目的として立ち上げられた
昭和59年(1984年)
旭川家具事業協同組合が解散 旭川家具工業協同組合へ一本化
昭和60年(1985年)
旭川木工センターによる「家具の祭典」が開催
現在は「モクモクフェスタ」として毎年開催
平成2年(1990年)
「国際家具デザインフェア旭川」(IFDA)を開催
旭川で3年に一度開催され世界中から優れたデザインが集結
平成12年前後(2000年前後)
バブル崩壊により連鎖倒産が相次ぐ
かつては300社ほどのあったメーカーが現在は100社ほどに
現在
家具の日本5大産地として名を馳せる
海外展示会にも旭川家具を出品し世界の旭川家具を目指している