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木工教科書

2024年03月20日(水)

ミズナラの基礎知識 | 旭川家具と所縁のある木材。

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ミズナラの基礎知識 | 旭川家具と所縁のある木材。

ミズナラは、環孔材の良い例であり、はっきりとした年輪が特徴です。辺材と心材の違いが明確であり、辺材は灰白色であり、心材はくすんだ褐色。広葉樹材の中では重くて硬い方に分類されますが、材質の変化の幅が非常に広い特性があります。

ミズナラは収縮率が大きく、割れにくい特性がありますが、加工はやや難しい部類です。間違った方法で行うと割れが入りやすく、乾燥は素材への理解と熟練度が要求されます。

成長が良好で年輪幅が広いほど、より重くて硬くなりますが、成長が悪くて年輪幅が狭いと軽くて柔らかくなります。

これは成長の質によって孔管の幅があまり変わらず、重くて硬い孔管外の部分の割合が成長によって変化するためです。

年輪幅が1.2mm以上のものは構造材として適しており、0.8〜1.2mmのものは加工しやすく強いため、さまざまな用途に適しています。

0.8以下のものは加工用材として使われます。

これらを比重で比較すると、約0.65〜0.75、0.60〜0.70、0.45〜0.65の範囲となります。材が重くて硬い場合、イシナラと呼ばれることがありますが、これは別の種類のコナラを指す場合があります。

また、年輪幅が極端に狭く0.3〜0.4mmの場合、軽くてもろく、糠目と呼ばれます。

ミズナラの基礎知識 | 旭川家具と所縁のある木材。

写真はミズナラの若葉。葉は互生し、やや枝の先に集まります。

葉身は倒卵状長楕円形で、基部はくさび形に狭まり、葉柄はほとんどないか、ごく短いのがミズナラの特徴です。縁には大きな鋸歯があります。

葉の表面は無毛で、裏面には葉脈上に短い毛が散在しています。

ミズナラは数少ない日本の輸出木材だった

日本は世界でもトップクラスの木材輸入国で、外国から多くの木材を輸入しています。

残念ながら、現在はミズナラの木材の供給量が少なくなっているため、実際にはほとんどありませんが、かつて北海道産のミズナラの木材は、日本から輸出されている珍しい例でした。

ミズナラがヨーロッパの人気が高かった理由

ミズナラの木材は、そのはっきりとした木目と親しみやすい色合いから、家具や建物の内装などに広く用いられています。

木材の表面には、年輪によるものと年輪の中心から放射状に入る組織によるものがありますが、後者は斑と呼ばれます。

ミズナラの特徴の一つはこの斑が入ることです。特に、柾目面に現れる斑はトラの毛皮に似ているため「虎斑」と呼ばれ、美しいとされています。

このような木目の装飾的な特徴を杢と呼びます。落ち着いた色合いと美しい木目を持つミズナラは、海外で高級な材料として好まれ、特に高級な箪笥の材料として使用されていました。

また、洋酒との相性がよく、ウイスキーやワインの樽を作るのにも利用されています。

ミズナラの用途

ミズナラは家具材として広く使われるだけでなく、様々な器具や機械にも使用されています。

建築用途では、フローリングや窓枠、階段手すり、ドアなどの造作材や壁板などの内装材、内装用の合板の材料としても利用されます。

船舶では、強度を要する内装部材や壁面材として、また和船では重要な部材として広く使われています。

車両の材料としても古くから使用されており、かつては荷車の主要な材料でした。

さらに、ビールや葡萄酒、ウイスキー、ブランディの樽、枕木、電柱の腕木、スキーなどのスポーツ用具、薪や炭の材料、しいたけの栽培用のほだ木など、様々な用途に利用されています。

日本のミズナラは明治時代末期に価値が認められるようになり、Japanese Oakとして世界的に有名になりました。

これらの材料は欧米で家具や建築材料として使用されており、最高級の製品として高い評価を受けています。

長原 實(ながはら みのる)とミズナラ~100年に一人の椅子職人が誕生したきっかけ~

長原 實(ながはら みのる)とミズナラ~100年に一人の椅子職人が誕生したきっかけ~

旭川の家具メーカー「カンディハウス」の創業者である故・長原實氏は、旭川家具の名を国内外に広めた功労者であり、“100年に一人の椅子職人”と国内外で評価された人物です。

そんな長原氏とミズナラには、深いエピソードがあります。

それは、家具職人としてヨーロッパへ遠征し、修行真っ最中の頃でした。オランダへの旅の途中、長原氏は衝撃の光景を目にしました。「OTARU」と焼き印された北海道産ミズナラの木材が、港に大量に積まれていたのです。

故郷・北海道の木材が海外に輸出され、家具として日本に輸入される……この矛盾に長原氏は憤りを感じ、「ミズナラで国産家具を作るんだ」と固く決意しました。その情熱が、のちのカンディハウスを生み出したのです。